懺悔瞑想室について☆ [◆法華寺にて◆]
先日、お檀家さんからいただいた百合の花を本堂などにお供えしたことをUPしました。
その時に、瞑想室にもと書いたら、興味を持ってくださった方もいらしたので、今日はそれについてUPします
一応の名称は懺悔瞑想室といって、もっと分かり易い言葉で表現するなら、
内観室(ないかんしつ)かな
それでも日常生活では触れることのない言葉ですね
内観とは、自分の内なる心を観ると私は理解しています
心を落ち着けて冷静になって、客観的に自分を観るのです
そのためのお部屋と思っていただければ
こんな風にね
瞑想とは違うのって思われる方
私は瞑想をしたことがないのでハッキリとは違いが述べられないのですが、
瞑想も内観も踏む手順や心づもりは必要で、然るべき方法があると思いますよ
特に内観は、心理療法で内観療法というものが確立されているようですしね
でも、そんな難しいことは言いません
法華寺の懺悔瞑想室は、文字だけ見るととても堅苦しく難しそうなんですが、そうではないんです
「さんげめいそうしつ」と読むのですが、仏様の前に座って呼吸を整えて気持ちを落ち着かせ、
たとえば、今日一日あった出来事を思い返し、自分のことを客観的に見たとき、
○愚痴を言ってしまったなぁ
○つまらないことでイライラしてしまったなぁ
○もっとこうしたらより良く出来たかなぁ
○今日は仕事で新たなご縁があって嬉しかったなぁ
○ここがいつもよりは頑張れたかなぁ
等々、自分の良い面も悪い面も思い起こすのです
そして悪かったところは素直に反省し、なるべく繰り返さぬよう改善するよう努めるのです
愚痴を言ったって何も変わりませんものね
人の悪口なんてもっとブーですよね
私の好きな日本の詩人・画家に星野富弘さんという方がいらっしゃいます。
その方の詩画集を読んでいると、心が洗われるし、素直な気持ちになれます
星野さんの詩画集で以前読んだこんな言葉
鏡に映る顔を見ながら思った
もう悪口を言うのはやめよう
私の口から出たことばを
いちばん近くで聞くのは
私の耳なのだから
悪口だろうと愚痴だろうと、自分の発した言葉を一番近くで聞くのは自分の耳。
そうですよね。
言ったところで何も変わらない。
自分が変わろうとしなければ何も変わらない
周りに変わってもらおうなんて思っているようでは
話がまたどこまでも逸脱しそうなので修正を
ネパールでは、お寺に対する意識が日本とはだいぶ違います。
生活の一部なんですよね
どういうことかというと・・・
朝起きてから仕事に行く前、お寺に行ってお祈りをする。
仕事が終わって家に帰る前にお寺によって、今日一日の自分の行動を思い返し、
反省すべき点は仏様の前で懺悔する。
法華寺の懺悔瞑想室も、そのような形で皆さんに親しんでいただければと思っているのです
といっても、日本にそんな習慣はないし、今の日本のお寺を訪ねても本堂を閉めているところが多いですものね
動物が入っていたずらをするから、とか今時は防犯上などとよく聞きますが、
それでは益々お寺って入りづらい行きにくい場所と思われると思うんですよね
お寺にも事情があるので難しいところです
法華寺では、お望みとあらば懺悔瞑想室で写経もできます
一人の時間を持ちたい人の方などの為にも解放しています
自分の部屋で静かに耽っているのと、お寺という空間でお香が仄かに漂う中、
内観するのはまた違う気分ですよ
皆さんの菩提寺でも、そういう試みをしているところもあると思います
尋ねてみるのも良いかもしれませんよ
2012-05-31 22:42
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